『ソクラテスの弁明』読書メモ
詩人と手仕事職人の話は印象的だった。
全体的に見て、強情や意地っ張りというよりむしろ積極的に自分から死刑にされるようにけしかけているような感じがした。
明らかに受け容れられないような形をした「説得」を行い、相手にあえて間違った選択だと分からせた上で間違った選択を選ばせ、一生その間違いを心に留めさせようとしている感じがした。
老い先短いとはいえ、もはや目の前の民衆の説得にすら価値を置かない、自身の無罪を勝ち取ることに価値を置かないという発想があるとは思わなかった。
読む前は、素朴にソクラテスのような知者を以てしても、時に暴走する民衆を説得することはできなかったのかなと思ったり、読んでいる途中もなかなか強情で偏屈な老人だなと思ったりもしたけど、随分浅はかな考えだったと思う。
最後までソクラテスの真意?に気づかず、皆でお金をかき集めてでもソクラテスを救おうとするプラトンらとの対比・隔絶も際立っている。ここに珍しくプラトン自身を登場させているのもそういうことだろうと思う。
(以上、死刑判決後冒頭あたりまで)
解説のメレトスとの対話周りについて、別にこの裁判の場で表層的な論理の正しさや告訴の矛盾を見事に論証してもなあとは思った。この告訴の本質(の一面)は、多くの若者がソクラテスに影響を受けて周りの「大人」が迷惑してソクラテスに怒りが向かったというところにあって(現代において子供が特定のYouTuberの極端な言説に影響を受けて親が困ってYouTuberにヘイトが向かうのと同じ)、ここではその告訴の根本的な原因や「大人」の側の考えの誤りについて論証するべきなのであって、表層的な、告訴の不用意な決まり文句や目の前の論敵の言葉尻を捉えて矛盾を指摘し、自説の正しさを誇っても仕方ないのではと思った。その議論を通して告訴の裏に隠れる「大人」達の考えの誤りまで指摘できればすごかったと思うけど、そこまでの広がりも感じず、ここだけはソフィスト的な小さい議論だと思った。まあ大昔の議論はこんなものかと。
と思って読み返すと、ちゃんとその続きでそのあたりの話になっていっていた。この小さな議論は次の議論の足場として必要だったのかもしれない。
といいつつ続きも読み返していくとそこまででもなかった。まあ、放っておけばソフィスト的な議論の枠に嵌められてしまうので、相手が使ってきそうな論理を先んじて取り上げつつ、ソフィスト的に相手を黙らせておく必要があったのかもしれない。