なるべく気を散らさない集中できるような環境づくりというのも本質ではなさそう。例えば、集中できないときはマウスの細かな挙動や、小さな物音などでも気が散ってしまうと感じるけど、いったん集中状態に入れたら、どんな劣悪な環境でもなんだかんだ気にならずに作業を持続できる。
集中できる環境というのはフロー状態に入るための補助輪のようなもので、フロー状態に入ったらそれほど重要ではなくなる。なにかの拍子にそんな環境でなくてもフロー状態に入れることはある。
集中できる環境にないから、というのは単にフロー状態に入れていないということの表明でしかなくて、それがなくてもフロー状態に入れるんだと思っておくのが良さそう。
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とにかく行動に移るとき、どれくらいフロー状態に入れていたときのことを感覚として思い出せるか・想起できるかが、実際にその行動を持続させるのに大事だと思う。
その想像が枯渇・忘却していれば、作業に入る気が重くなる。埃かぶっているエンジンをしばらくぶりに掛けるようなもので、多くの気合や小細工が要る。
物事を順調に進めている時期に作業に入る際の、あのなんとも言えない幸先の良い感覚は大事だと思った。(前日のフロー状態が蘇ってくるような、またあのように上手く進むだろうという感覚?集中していたときの感覚をうっすら思い出すような感じ)
ここにやることを書き出すとか、色々小手先の工夫はいくつもあり有効でもあるけど、結局はどのくらいフロー状態に入れるか、その感覚を覚えておけるかにかかっている気がする。