小手先の工夫をいくつ重ねても、本質的な、大事な要素が欠けていたら持続性はないという感じ。
こまめな進捗書き出しとかにしても。ただ書き出すことはそれ自体がフロー状態を産み出しやすい気もする。それがゲーム開発のフロー状態や取り組みの持続化に寄与するかはわからないけど。
ただ、SNS未読消化中毒的なフロー状態(ハマり状態)よりはましだと思う。
なるべく気を散らさない集中できるような環境づくりというのも本質ではなさそう。例えば、集中できないときはマウスの細かな挙動や、小さな物音などでも気が散ってしまうと感じるけど、いったん集中状態に入れたら、どんな劣悪な環境でもなんだかんだ気にならずに作業を持続できる。
集中できる環境というのはフロー状態に入るための補助輪のようなもので、フロー状態に入ったらそれほど重要ではなくなる。なにかの拍子にそんな環境でなくてもフロー状態に入れることはある。
集中できる環境にないから、というのは単にフロー状態に入れていないということの表明でしかなくて、それがなくてもフロー状態に入れるんだと思っておくのが良さそう。
ここにやることを書き出すとか、色々小手先の工夫はいくつもあり有効でもあるけど、結局はどのくらいフロー状態に入れるか、その感覚を覚えておけるかにかかっている気がする。